
本日は大分県日田市に来ました。目的は、ある場所である写真を撮ること。そのために、それを口実に、COLOR-SKOPAR 28mm F2.8 Aspherical SL IIsを導入したのです(⇒参考記事)。ぶっつけ本番・日田の旅、いざ進撃。
ニコン片手に日田へ行く
この日のお供はニコンF3とカラースコパーのカメラ1台×レンズ1本勝負・・・と行きたかったのですが、連れてきちゃったニッコール50mm f1.2。カメラ1台×レンズ2本という腰抜け・軟弱者でした。
空港はなぜワクワクするのか?


やって来たるは朝イチの羽田空港。さすが日本の玄関だけあって、5時ちょっと過ぎたくらいにはご覧の混雑。みんながみんな、それぞれの場所へそれぞれの理由で旅立つと思うと、行く先々でどんなことが待ち構えているのか、旅の無事を祈らずにはいられません。
日田に来ました(人生初)
雲の上で1時間半、そこから高速バスで1時間ほどかけて、ようやく到着。お名前はかねがね聞いておりましたが、実際に来るのは初めて。日田には一体何があるんだい?
天領として名高い日田

日田は、山と山の間を縫うように流れる2つの大きな川(三隈川・花月川)に挟まれた盆地にあり、見るからに交通の要衝という感じ。



こちらのサイト(⇒出典)によれば、日田は戦国末期に開かれ、1639年に天領となり、1759年には九州の天領を統括する西国筋郡代が設置され、九州の政治経済の中心になったのだそう。特に金融都市としての役割が大きく、九州の天領から入ってくる資金を困窮する大名などに貸し付けるなどして潤ったのだそうな(日田の高利貸業者は日田金まと呼ばれた)。
日本最大の私塾ができたのも納得


かつての九州の中心地だった日田で有名なものと言えば、咸宜園でありましょう。1805年に儒学者の廣瀬淡窓が開いた日本最大の私塾(1817年に現在の場所に移転)で、1897年に閉校するまでに学んだ人はなんと5,000人!
門下生には、例えば大村益次郎(戊辰戦争で倒幕に貢献)や高野長英(シーボルトの鳴滝塾卒業生)、上野彦馬(写真の先駆者)などなど、維新の歴史をたどればどこかで必ず出てくる偉人が名を連ねています。
ちなみに、高野長英は昨年訪れた角館でもガッツリ痕跡を残している人(⇒参考記事)。もう、ほんと至るところで登場しますで、いかに江戸時代後期の日本全国津々浦々の文化・思想に多大な影響と貢献をもたらした人であるかが分かります。
日本マンガの歴史に残るワンシーンを撮りに来ました
「日田に行こう」という発案はもちろん僕ではありません(^ω^) ノーガードでまったく知らない土地だっただけに、学ぶこと知ることがたくさんでとても楽しい。
日田は進撃の巨人のふるさと


曲がりなり(失礼!)にも日本の中心だった日田には、やはり歴史に名を刻む何かがあるのかもしれません。なんとこの日田、近年の日本マンガの最高傑作の1つと言っても過言ではないあの作品、「進撃の巨人」の作者さんの故郷だそうな。
もうね、町中至るところ、巨人だらけなのですよ。駅着いた瞬間にリヴァイ兵長がお出迎えしてくれるのはファンならずとも感激もの。日田市も進撃の巨人と全力コラボで、AR(拡張現実)を駆使した観光ルートをつくるほどの力の入れっぷりです。


そして、このAR(拡張現実)こそが今回の日田旅の目的。超大型巨人が壁(ダム)からのぞき込む、あの絶望的なシーンをどうしても写真に収めたいという、ただそれだけのために日田に来たのでありました。
この1枚のためだけに旅するの、大いにアリではないですか(^ω^) あてもなく彷徨う旅も良いけれど、せっかく行くなら「どうしても!」という目的があるのは、やっぱり遣り甲斐があるものです。
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